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Y松が始まる前、五月ごろのおはなし
またここで会いましょう |
GWが明けたばかりだというのに、放課後の校庭からはサッカー部のウォーッだとか、陸上部のピッピッだとかが賑やかに聞こえている。そんなグラウンドの脇で私は、帰宅する生徒たちが校門へ向かう流れに逆行して、校舎を目指していた。 (入って右の下の段。下の段) イメージトレーニングのように思い浮かべるのは、科学室に入ってすぐ右にある白塗りのアルミの収納棚で、そこにはYシャツの型紙を仕舞ってあった。科学室は先月から、私が部長をしているYシャツ同盟の部室というか活動場所を兼ねている。今年の春に赴任してきた科学のイトー先生が顧問になったのを機にあてがわれたのだ。 今日の部活も、時間は短かったが、部員と顧問と楽しくおしゃべりが出来て有意義だった。だが型紙を持って帰るのを忘れたのは惜しい。家に帰ってから手直ししたいと思っていたのに。 *** 夕暮れ時の校舎は、さっきとは打って変わったように物静かで、中でも、実験室の並ぶこのフロアは余計だった。ここはいつも同盟の仲間が集う大好きな場所だが、これだけシンとしていればどうしたって怖い。廊下の窓から差し込む西日を背に、少々焦りながら科学室の扉に手をかけると、横開きの扉にはすでに鍵がかかっていた。 「あー…」 「何してんのトミタ」 ガラッという物音にも名前を呼ばれる声にも心臓が跳ね上がる。固まったまま目だけを動かすと、科学室の隣、準備室の扉からひょこっと顔を出していたのはイトー先生だった。面白いものを見つけたと言わんばかりに、メガネの奥がきらんと光っている。 「今すごいびくっとしたなぁ、ははは」 「そういうことは心の中で思っていて下さい」 「あれ、声に出てた?で、何してんの」 廊下に現れたイトー先生は、元々淡い髪の色が夕焼けでますますオレンジになっているし、いつもは青白い白衣もほんのり染まっている。触ったら温かそうだなとそのままに思った。 「部室に忘れ物したので入ってもいいですか」 「そっか。じゃ、こっちからおいで」 受け入れてくれた声色もどことなくあったかくて、くるっと向けられた先生の背中に大人しくついていった。その頃にはもう、さっき脅かされたとかからかわれたとか全部夕日に溶けてしまったようで。ただ、胸いっぱいにほっとしていた。 *** 取り出した型紙を科学室の机に広げてみせると、先生は、うんうんと頷いた。6人掛けの実験用テーブルだから大きくて、型紙を載せるにも丁度いい。先生はまだ細かく頷いていて、何かよく分からないがひとりでに納得しているようだ。 「そうか、完成したんだ。やったねトミタ」 「してませんよ。これから改良するんです」 「えー」 「えーって言われても。まだ出来上がってません。だから取りに来たんです」 「これ以上どこをどうすんの」 家庭科は苦手だったとこぼす先生に一箇所ずつ説明していくと、その度に横でふんふんと相槌を打たれる。時折、私が指差したところに顔を近づけてじっと見入る姿は、真剣に聞いてくれてるのが伝わってきて嬉しかった。 「んー、近寄り過ぎてぼやけてきた。ちょっと待って」 「はい。……わ!」 真横にいた先生が思いもよらずメガネを外していて、つい声が出た。先生は私の反応に構わず、白衣の長い裾をたぐってレンズを拭いている。俯いて真剣にメガネを拭いている先生の横顔には、当然だがメガネがかかっていない。何というか、その ― 「初めて見ました」 「そうだっけ。ああそうかもね」 あまりに飄々と答えられるので、意識するほうがおかしいのかなと思わされるが、やはり気になってちらちら見てしまう。先生は、髪と同じく瞳の色も薄茶色。レンズ越しじゃないその目は、光に透かした紅茶飴みたいで綺麗だなと思った。けれど先生は、私の視線を違う意味で解釈してしまったようだ。 「メガネかけていいよ」 「…はい?」 「遠慮しなくていいから。ほら、かけたそうに見てたじゃない」 「別にかけたくありません」 「あれー、意外と照れ屋さんなんだ」 「意外って。私どんな印象だったんですか。いや、そもそも照れてませんけど」 「じゃあいいじゃない。トミタ、メガネ似合いそうだよ」 「そうですか?」 「うん」 差し出されると思わず受け取ってしまいそうになるが、引っかかるものか。先生との付き合いはまだ短いが、いまの先生の笑顔が、にやけであることぐらいは分かるのだから。 「やっぱりいいです」 「ちっ、駄目だったか」 「ほらー」 「うーん。まあ、仕方ないか」 そう言って、先生は持っていたメガネを机の上にことんと置いた。どうしてかけないのだろう。 「先生?」 「ちょっと準備室行ってくる。電話かけなきゃいけない所があるの忘れてた。すぐ戻るから待ってて」 「あ、はい。分かりました」 黒板の脇、準備室に通じるドアの向こうに消えていく背中を見送ると、科学室はまた静かになった。手持ちぶたさから、残されたメガネに自然と目がいく。近視だろうか遠視だろうか、さすがに老眼って年じゃないだろう。静物であっても、こうして真剣に見つめているとそれなりに楽しい。持ち主を知っているから思いが一段と増すのかもしれない。主に置いてきぼりにされたメガネに好奇心がむくむくと湧いていく。 少しくらいならいいだろうか? 細いフレームにこっそりと手を伸ばしたその時だ。本当に不思議だが、頬がぴくりと小さく痙攣するように気付いた。人間の勘なんて野生と比べれば微々たるもので、殊に平和な日本の女子高生な私のそれは鈍いほうだと思うが、その瞬間はちりりと静電気が走ったみたいに感じた。 「……。何してるんですか、先生」 黒板脇のドアの窓ガラスに、イトー先生は張り付いていた。すぐさまドアを開けてきっちり追求した。なるほど、これは先生の仕掛けた罠だったのだ。あと少しで引っかかるところだった。 大人のくせにどうしてこんなことするんだろう。思ったそのままを言葉にして質問すると、先生は、 「トミタがメガネかけたとこ見たかったんだもん」 と、やはり先生が思ったままであろうことを言ってきた。それを聞いて私は、私の真似をしてずるいとも、この先生面白いなあ、とも思った。 *** 「あ。そうだ先生」 「ん?」 まだ残業するというイトー先生と科学室前の廊下で別れ際、ふと思い出して切り出した。去年の冬、部員の間で盛り上がっていた企画を、そろそろいい頃合なので実行したい。 「来週か再来週の日曜、ここで部活したいんですけどいいですか?」 「日曜に?いいけど、何するの」 「昼寝です」 「…」 「昼寝です」 「いや聞こえてたけど。何でまた」 「いま5月ですよね」 「うん」 「5月の午後に窓を全開にして、Yシャツのみんなで昼寝をしたら気持ちいいと思いませんか」 気持ちいいに決まっている。冬は寒かったから出来なくて、春休みは前の顧問の先生が転任してしまって出来なくて、ようやく巡ってきたベストシーズンなのだ。 私の提案に、先生は返事の代わりににこっと笑った。そして、天気が良ければいいねと言ったので、私も同じような顔で笑う。その時、今度の昼寝の集いはきっと成功するに違いないと思えた。先生もそう思っていればいい。 「じゃあまた明日ね。気をつけて帰んなよ」 「はい、先生も。さようなら」 足取りが勝手に軽やかになって、タタッと廊下を小走りに進む。曲がり角で振り返ると、先生はまだ科学室の前に佇ずんでいて、私に軽く手を上げた。私も同じように手を振って、今度は振り返らないで昇降口に向かう。また明日、先生の声がまだ耳に残っていた。 また明日、また明日ね。 明日も会いたい。先生も、そう思っていればいい。 [了] 管理人からの感想:(言葉にできない) 梅が終わったらYシャツの続きは 何を書こうかと考えていたのですが、これを丸ごとまんがにします。 弥純さんからもらったページから、安パン仕様にタグを少しいじろうかと 思ったのですが、弥純さんちでうちの小説を読んでるみたいでもえるので そのままにしました |